京都ユネスコ協会について
京都ユネスコ協会会長のメッセージ
ヒトという種が地球の生命たちの存続を脅かし、第三次世界大戦の前夜ともいわれる今日、ユネスコという存在のもつ人類史的な意義を、原点に立ち還って確かめ合いたいと思います。
世界大戦の惨禍を体験した痛恨のなかで、人類はやっと、国益を超えて平和のために協力する国際機関の創設に合意できました。第一次世界大戦後の国際連盟が、二度目の世界大戦を防ぎえなかった反省から、平和を維持するには政治的・経済的な取り決めだけでは不十分で、知的精神的連帯を促進することが必須であると認識し、国際連合の設立にあたっては、ユネスコ憲章に基づく機関を設置しました。それまでの国際連盟では、科学について国際的に協力する機関(国際知的協力委員会)はありました。国際教育局の創設を求める取り組みもあったのですが、しかしながら、教育については国家の専決事項であり国を超えた介入は内政干渉であるとの理由から、実現には至りませんでした。
その歴史を思い起こすと、国を超えて教育・科学・文化のための協力する機関、すなわちユネスコが国際連合に設置されたことは、人類が幾多の犠牲のうえで遂に到達した画期的な成果だと言えます。たしかに、国連にしてもユネスコにしても、その実効力に悲観的になってしまう現実があります。しかし、人類が平和で持続可能な世界を築いていくためには、遠回りにみえても、これを尊重して育て上げていくことの他に、希望を持ちえる道はないように思えます。人類史の最先端にあるこの道は、レールのように敷かれているわけではありません。自分たちで歩みながら踏み固めていく他はない道ですが、トーチを受け渡しながらこの道を拓いていきたく思います。
「戦争は人の心の中で起こるものであるから、人は心の中に平和の砦をきずかなければならない」
そのために、日本に生きる私たち市民に、何ができるでしょうか。幸い、私たちには、受け継ぐべきトーチ、忘却することのできない民間ユネスコ運動の歴史があります。敗戦後の焼野原のなかで、何を信じてよいのか理念を見失ってしまいそうなとき、世界の中で、平和国家の建設という方向性を、端的に示してくれたのがユネスコ憲章でした。ユネスコ創設直後の1947年から草の根市民によるユネスコ運動が展開して国会をも動かし、国連加盟以前にユネスコへの加盟を官民一体となって実現した経緯、そしてその際に全国各地に誕生したユネスコ協力会とそれを束ねた日本ユネスコ協会連盟の運動が、国際的なNGOモデルとなり、アジアや世界のユネスコ協会クラブ連盟を牽引したこと、よく語り継がれているところです。
「京都ユネスコ協会」は、その1947年に、当時の同志社大学総長であった湯浅八郎氏を初代会長として仙台に次ぐわが国2番目の「ユネスコ協力会」として発足しました。それ以来、先人たちは「心のなかの平和」を築く活動を積み上げてきました。今わたしたちに求められているのは、この原点に何度も立ち還りながら、今の時代に応答できる活動を、次代を担う若者たちとともに創り出していくことだと思います。
そのために近年、活動報告にありますように、いくつかの新たな活動へと踏み出しています。人類の稀有な遺産を無駄にせず、しっかりと受け継ぎ、未来へつないでいくために、ともに歩んでまいりたく思います。ご協力をよろしくお願いいたします。
京都ユネスコ協 会長 吉田 敦彦
2024年度 役員一覧
役職 | 氏名 |
---|---|
会長 | 吉田 敦彦 |
副会長 | 前田 久夫 |
常任理事 | 浅井 俊子 |
常任理事 | 香戸 美智子 |
常任理事 | 岸上 ゆか |
常任理事 | 杉山 勉 |
常任理事 | 高見 啓子 |
常任理事 | 西川 昭寛 |
常任理事 | アンガス マグレガー |
常任理事 | 加藤 功治 |
監事 | 長野 博 |
事務局長 | 加藤 功治 |
役職 | 氏名 |
---|---|
理事 | 赤松 徹眞 |
理事 | 新木 直人 |
理事 | 稲田 新吾 |
理事 | 内田 俊一 |
理事 | 王 清一 |
理事 | 小林 祥造 |
理事 | 近藤 秀二 |
理事 | 髙井 俊光 |
理事 | 塚本 能交 |
理事 | 福永 法弘 |
理事 | 屋敷 陽太郎 |
理事 | 前川 明範 |
理事 | 南 明男 |
京都ユネスコ協会の沿革
1)設立
1947年(昭和22年)9月18日、当時の同志社大学総長湯浅八郎氏(国際基督教大学名誉教授)と西田天香氏(一燈園創設者)によって「ユネスコ協力会」が結成され、民間ユネスコ運動が開始されました。1948年10月31日に「京都ユネスコ学生連盟」、そして1949年10月31日には「京都ユネスコ協力会婦人部」(初代部長湯浅清子氏)が発足しましたが、1951年にこれらの3組織が統合され「京都ユネスコ協会」となりました。
1947年、京都ユネスコ協力会が発足した時、『世界の同志へ送るメッセージ』が作成されました。ここにその全文をご紹介します。協会創立時の先達の意気込みと情熱をお読み取りください。
京都ユネスコ協力会創設にあたり
世界の同志へ送るメッセージ
平和は、全人類が心から願う理想である。しかも戦争は、今日なお依然として全人類を脅かしている現実である。どうすればこの恐るべき現実をこえて、この高い理想を実現できるだろうか、これこそ原子力時代の今日人類が直面している最大の課題である。
今や、敗戦の苦しみと戦災の体験とは、われら日本人を謙虚に、真面目にそして深く戦争についてのわれらの責任を反省させ、清算すべきものは勇気をもって清算し、改善すべきものは敢然として改革しつつある。われらは進んで民主主義を採択し、主権在民、人権尊重、戦争放棄を誓約する憲法を制定した。世界に率先して戦争を否定し、軍備を全廃し、平和国家の安全保障を、あえて世界の正義感にまかせた。かくして戦災の火の中から立ち上がった日本の将来は平和国家として、世界の文化と人類の幸福とに貢献することにあることを天下に公約した。
もとよりかかる高い理想の実現は、われらの異常なる決意と絶えざる努力と高価な犠牲を絶対に必要とするが、同時に理解と同情との精神、心豊かな世界の同志の支援と協力とに待つところもまた甚大である。
したがって国際的相互理解と協力こそは、世界平和のカギである。このことこそ、われら京都市民が京都ユネスコ協力会を組織するにあたり、このメッセージをユネスコ本部におくり、広く全世界の同志の理解と協力とを心から求めるゆえんである。
願わくは、われわれのささやかな願いを理解されたい。
昭和22年9月18日
京都ユネスコ協力会
(本文は、原文を若干修正し、近代用語にあらためた)
2)歴代会長と事務局長は次の通りです。
湯浅八郎 | 初代会長 | 1948年 ユネスコ協力会 | |
湯浅清子 | 婦人部部長 | 1948年 | |
難波紋吉 | 第2代会長 | 1951年 | |
堀内清第 | 第3代会長 | 伊藤正春事務局長 | 1955年 ユネスコ協会と改称 |
野上素一 | 第4代会長 | 1959年 | |
平林博事務局長 | 1974年 | ||
服部梶蔵事務局長 | 1976年 | ||
小谷政三事務局長 | 1983年 | ||
森田嘉一 | 第5代会長 | 藤田義仁事務局長 | 2001年 |
相大二郎 | 第6代会長 | 加藤功治事務局長 | 2017年 |
吉田敦彦 | 第7代会長 | 2024年 現在に至る |
3)京都ユネスコ協会の過去の主な取り組み
京都ユネスコ協会は1947年に創立以来長い歴史のなかでユネスコ活動を続けてきました。
主な活動は次の通りです。
- 一般広報活動 = 例会・総会・講演会・研究会・研修会・見学会
- 教育活動 = 国際理解教育の推進・語学講座の開催・インドネシア里親運動
- 青少年活動 = 自然教室・国際子どもキャンプ
- 科学活動 = 自然観察展(1960年10月、第1回夏季自然観察作品展として開催)
- 文化活動 = 京都ユネスコ協会美術工芸展(1964年2月、第1回を丸物百貨店画廊で開催)・京都ユネスコ協会国際合唱団結成
- 国際交流活動 = 訪日学生、青少年、ユネスコ関係者との交歓交流・在京留学生とのお花見会
また、ユネスコ運動全国大会も京都で3回開催されました。(第12回、24回、30回)
年次毎の具体的な活動・催し・行事などについては、これまでの記念誌(創立30周年、40周年、50周年、70周年)に記載しております。
4)機関誌の発行
機関誌「京都ユネスコ」は1950年1月1日に創刊されましたが、間もなく中断し、1965年5月1日、「パルテノン」と改題され、隔月発行となりました。
1970年4月1日、「京都ユネスコ」として復刊、月刊となりましたが、1973年5月号から、日本ユネスコ協会連盟の「ユネスコ新聞」の1頁目に「京都ユネスコ」が掲載されるようになりました。
1976年2月、日本ユネスコ協会連盟の「ユネスコ新聞」が月刊となったのを機に、「京都ユネスコ」は独自に発行するようになりました。
以来、年に一回発行され今日に至っています。