京都ユネスコ協会会長のメッセージ

我々人類は長い歴史の中で幾度となく争いを繰り返して今日を迎えています。人間は何故争いをするのでしょうか。

本来人間の心の中には「善なるもの」と「悪なるもの」が混在しておりますが、天地大自然は人の心を「善なるもの」に導いています。

「水は常に澄もうとする、大自然は常に人の心を醒まそうとしている」(天香)

総ての争いの原因は「利己心」と「正しさ」の主張から始まります。特にその「正しさ」の主張が強ければ強いほどその争いは深刻さを増し、互いに相手の心が見えなくなり、終には相手を抹殺するところまで辿りつきます。

「戦争は人の心の中で起こるものであるから、人は心の中に平和の砦を築かなければならない」

第二次世界大戦終結に際し、世界に発信された「ユネスコ憲章」前文に記されたジュリアン・ハクスレー事務総長の言葉であります。

「京都ユネスコ協会」は70余年前1947年(昭和22年)当時の同志社大学総長であった湯浅八郎氏を初代会長として仙台に次ぐわが国2番目の「ユネスコ協会」として発足しました。

心の持ち方を変えるという難しい課題に対して私達「京都ユネスコ協会」は日々の活動中に「深い学び」と「幅広い活動」そして「温かい友情」と「楽しい集い」を目指して、謙虚に真剣に、そして温かく楽しく取り組んでゆきたいと思います。

皆様のご理解とご指導ご協力を心よりお願い申しあげます。

                                               京都ユネスコ協会   吉田 敦彦

2.京都ユネスコ協会の沿革

1)設立

1947年(昭和22年)9月18日、当時の同志社大学総長湯浅八郎氏(国際基督教大学名誉教授)と西田天香氏(一燈園創設者)によって「ユネスコ協力会」が結成され、民間ユネスコ運動が開始されました。1948年10月31日に「京都ユネスコ学生連盟」、そして1949年10月31日には「京都ユネスコ協力会婦人部」(初代部長湯浅清子氏)が発足しましたが、1951年にこれらの3組織が統合され「京都ユネスコ協会」となりました。
1947年、京都ユネスコ協力会が発足した時、『世界の同志へ送るメッセージ』が作成されました。ここにその全文をご紹介します。協会創立時の先達の意気込みと情熱をお読み取りください。

左・西田天香氏、右・湯浅八郎氏

京都ユネスコ協力会創設にあたり
世界の同志へ送るメッセージ

平和は、全人類が心から願う理想である。しかも戦争は、今日なお依然として全人類を脅かしている現実である。どうすればこの恐るべき現実をこえて、この高い理想を実現できるだろうか、これこそ原子力時代の今日人類が直面している最大の課題である。
今や、敗戦の苦しみと戦災の体験とは、われら日本人を謙虚に、真面目にそして深く戦争についてのわれらの責任を反省させ、清算すべきものは勇気をもって清算し、改善すべきものは敢然として改革しつつある。われらは進んで民主主義を採択し、主権在民、人権尊重、戦争放棄を誓約する憲法を制定した。世界に率先して戦争を否定し、軍備を全廃し、平和国家の安全保障を、あえて世界の正義感にまかせた。かくして戦災の火の中から立ち上がった日本の将来は平和国家として、世界の文化と人類の幸福とに貢献することにあることを天下に公約した。
もとよりかかる高い理想の実現は、われらの異常なる決意と絶えざる努力と高価な犠牲を絶対に必要とするが、同時に理解と同情との精神、心豊かな世界の同志の支援と協力とに待つところもまた甚大である。
したがって国際的相互理解と協力こそは、世界平和のカギである。このことこそ、われら京都市民が京都ユネスコ協力会を組織するにあたり、このメッセージをユネスコ本部におくり、広く全世界の同志の理解と協力とを心から求めるゆえんである。
願わくは、われわれのささやかな願いを理解されたい。

昭和22年9月18日

京都ユネスコ協力会

(本文は、原文を若干修正し、近代用語にあらためた)

2)歴代会長と事務局長は次の通りです。

湯浅八郎 初代会長1948年ユネスコ協力会
湯浅清子 婦人部部長1948年
難波紋吉 第2代会長1951年
堀内清第 第3代会長伊藤正春事務局長1955年ユネスコ協会と改称
野上素一 第4代会長 1959年 
平林博事務局長1974年 
服部梶蔵事務局長1976年 
小谷政三事務局長1983年 
森田嘉一 第5代会長   
藤田義仁事務局長2001年 
相大二郎 第6代会長加藤功治事務局長2017年
吉田敦彦 第7代会長2024年現在に至る

3)京都ユネスコ協会の過去の主な取り組み

京都ユネスコ協会は1947年に創立以来長い歴史のなかでユネスコ活動を続けてきました。
主な活動は次の通りです。

・一般広報活動  例会・総会・講演会・研究会・研修会・見学会

・教育活動 = 国際理解教育の推進・語学講座の開催・インドネシア里親運動

・青少年活動 = 自然教室・国際子どもキャンプ

・科学活動 = 自然観察展(1960年10月、第1回夏季自然観察作品展として開催)

・文化活動 = 京都ユネスコ協会美術工芸展(1964年2月、第1回を丸物百貨店画廊で開催)・京都ユネスコ協会国際合唱団結成

・国際交流活動 = 訪日学生、青少年、ユネスコ関係者との交歓交流・在京留学生とのお花見会

また、ユネスコ運動全国大会も京都で3回開催されました。(第12回、24回、30回)

年次毎の具体的な活動・催し・行事などについては、これまでの記念誌(創立30周年、40周年、50周年、70周年)に記載しております。

4)機関紙の発行

機関紙「京都ユネスコ」は1950年1月1日に創刊されましたが、間もなく中断し、1965年5月1日、「パルテノン」と改題され、隔月発行となりました。
1970年4月1日、「京都ユネスコ」として復刊、月刊となりましたが、1973年5月号から、日本ユネスコ協会連盟の「ユネスコ新聞」の1頁目に「京都ユネスコ」が掲載されるようになりました。
1976年2月、日本ユネスコ協会連盟の「ユネスコ新聞」が月刊となったのを機に、「京都ユネスコ」は独自に発行するようになりました。
以来、年に一回発行され今日に至っています。